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映画「引き出しの中のラブレター」 [書評・映画評]

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伝えなければいけなかったのに言えなかった思い。まるで引き出しの中にしまいこんだままのラブレターのような言葉を、ラジオのパーソナリティーが替わって読んであげる、そんな物語。
てっきり、いろんな葉書を読んでそれぞれ個別の物語のオムニバスかと思っていたのだが違った。
ある日ラジオのパーソナリティ真生(常盤貴子)の元に送られてきて函館に住む高校生(林遣都)の葉書に、父といさかいを起こしている祖父(仲代達矢)の笑顔を見たいのだがどうしたらよいのかと相談された。真生自身、二ヶ月前に亡くなった父(六平直政)との関係が修復できないままだったことからすぐには答えることが出来なかった。映画はこの祖父が最後に真生に微笑みをかけてくれるようになるまでの物語。

映画の企画から原案となる小説が書かれ、そこから脚本が起こされたのだが、原作は膨大な中身の濃い物語。そこからかなりの数の登場人物を削り、エピソードも半分以上削って脚本ができた。とくにこのラジオ番組企画のきっかけとなった、主人公の父親が書き残していた手紙は、原作はかなりの長文。映画の尺の関係もあるのだろうが、おそらく泣く泣く便せん1枚以下に縮めた。原作の文章もよかったけれど、映画的にはエピソードも削ったことに関係もするのだが短くてすっきりしたかもしれない。
登場人物の背景や関係も思いっきり省略している。映画的には唐突に感じたりわけがわからないままとかもあったりもするが、原作で補完してみるのがいいのだろうか。
逆に原作ではほんの通りすがりだったタクシーの運転手の背景やエピソードが付け加えられたり。意外なことにこの運転手宛の手紙の朗読部分が一番泣かせられたりもして。

原作は詳しすぎる部分が多すぎるきらいもあるが、常識的に無理なく流れをおわせようということなのかも。

とは言っても、映画が省略が多すぎてだめかといえば違ってくる。
小説では決して表わせられない、映画が優っている部分がある。それは主人公を演じている常盤貴子の語りの部分。ラジオパーソナリティーとして人気上昇中という設定だが、こんな放送があったら絶対にファンになってしまう。

僕個人的には中学から大学卒業までの10年間深夜放送にとっぷりつかっていたくち。朝は早いのに深夜2時頃までほぼ毎日聴いていた。特にお気に入りのパーソナリティーの日には番組終了まで聴いていたり。さすがに社会人になってからは聴かなくなったが、まあ朝の通勤の自家用車の中でラジオをかけるくらいになったのだが。最近のパーソナリティーの語り口調には疲れてしまう。早口で声も高く、やけにテンションが高すぎてしんどい。
映画のパーソナリティーはおそらく城達也の「ジェットストリーム」を意識しているのかも知れないが、落ち着いたゆっくりとした語りで心が癒されてくる。これは小説を読んでいてもこの声、語り口調は出てこなかった。映画の勝利。

原作にはけっこう無駄も混じってくる。時間あわせのために本文とは無関係の一般人の葉書の紹介とかもいれないといけなかったり。(映画ではこの部分のつじつまあわせにタクシー運転手のエピソードをふくらませたのだろうが、ずばり成功でしょう。もっとも、どうして彼が東京に一人出てきて苦労をしているのか、その理由は不明のままだったが)
映画の主題歌である歌とグループが原作に登場するのは便乗商法なのか。この部分小説では浮いてしまってしかたない。目障りにしか思えなかったり。

オムニバスに見える各エピソードが最終的に一つにつながるのは映画だからか。別にばらばらのままでもよかったとは思うのだが。まあみんなが同じラジオ放送を聴くという設定に不可欠なことだから良いのかもしれないが。

余談ながら、常盤貴子の出演作品を検索してみたが、彼女の出演作品をひとつも見ていないことを発見。名前はよく知っているのに、今回初めて見たことになる。
関東出身の彼女なのだが、映画では西宮出身の関西人役で、大阪出身の本上まなみと関西弁でしゃべっていたり、自然だったので調べてみると、中学をはさむ6年間を西宮で暮らして、関西で今の個性が開かれて自身も関西人を名乗り、普段は関西弁でしゃべっているそうな。


引き出しの中のラブレター

引き出しの中のラブレター

  • 作者: 新堂冬樹
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/09/03
  • メディア: 単行本



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