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映画「聖の青春」 [書評・映画評]

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29歳の若さで、将棋界最高のクラスA級在籍のまま亡くなった
村山聖の生き様と、支え続けた師匠森信雄の二人三脚のノンフィクション
小説を元にしたフィクション。

幼い頃に一生付き合わないといけないネフローゼにかかり、
病院のベッドで将棋と出会い、異常な集中力でのめり込み、
将棋本を次々と読破してそれだけで強くなる。
近所にはもう敵はいなくなり、過去からそして将来にわたって
プロ棋士を輩出してきた広島将棋センターで腕を磨いていたある日、
読んでいた将棋雑誌・新聞で新鋭の谷川浩司を知る。名人候補の
彼を倒したいの一念でプロ入りを目指す。
彼を弟子に取るように、兄弟子の滝誠一郎に声をかけられたのが、
当時自堕落な生活を送っていた森信雄。しかし大人の事情で
奨励会入りは一年遅れることに。

自暴自棄になりかけた聖に森は大阪に呼び寄せ、自分の手元で
育てることに。こうして死ぬまでにわたる特別な師弟関係が
築き上げられた。

病気で不戦敗も多い中、脅威の成績でプロ四段になった聖だが、
同時期にプロになった1年年下の天才羽生善治に出会い、
木っ端みじんに吹き飛ばされた聖は、何て強い奴がいるもんだ、
と谷川と並んで羽生を倒すことを目的として立ち向かっていく。

限られた時間の中、羽生と6勝6敗の対戦成績で迎えた最後の
対局。九分九厘勝っていた将棋を時間に追われた一手のミスで
ひっくり返されたのが最後となり、その数ヶ月後に帰らぬ人となる。

映画は羽生善治が前人未踏の七冠制覇を成し遂げた頃から
始まる。村山聖、森信雄、羽生善治の3名のみが実名で登場。
後の主要人物はすべて仮名で登場する。
森信雄の兄弟子で、東京に来た聖の面倒を見た滝誠一郎、
聖となぜか気があって一緒に過ごすことが多かった同世代の
先崎学、この原作小説の作者で、当時「将棋世界」誌の編集を
行っていた大崎善生。
実際のプロ棋士の田丸昇と中村真梨花がなぜか登場。田丸昇は
因縁浅からぬ対局を行ってきたので出演もわかるが、中村真梨花は
何か縁でもあったのだろうか?
もう一人、聖が亡くなる直前にプロになった弟弟子の山崎隆之が
将棋会館の受付役で出演。
どういうわけか、女流棋士の山口恵梨子が実名の本人役で唯一
出演しているのが面白い。

映画はあくまでフィクションでエピソードをいろいろ組み
合わせたり変更したり。
たとえば映画では弟弟子の年齢制限で退会が近づいている
奨励会員が出て来るが、実際のエピソードとしては弟弟子では
ない。
新車に乗せてもらってゲロを吐くエピソードは先崎学の車ではなく、
佐藤康光の車での話だとか。

大きく異なるのが、映画では羽生善治とタイトル戦で戦って
1勝はするけれども敗れる場面、現実では羽生とタイトル戦を
闘ったことはなく、谷川浩司とのタイトル戦で1勝もできずに
敗れたことだとか。
当然ながらタイトル戦の最中に羽生と二人っきりで酒を酌み交わす
こともなく、実際には将棋会館の側の定食屋で一緒に食事を
したことがあるようだが、だから映画の中での会話は創作された
もの。

なのに、この映画ではこの二人で会話する部分がすごく印象深い。
趣味も性格もまったく違って話がかみ合わないのに、二人が
見ている景色が同じだと言うこと。羽生が見ている海の底深く
潜っていきたいと思う聖に、羽生も村山さんとなら行けるかも
しれないという、映画のチラシに書かれている台詞がすごく
心に残ってくる。

最後の二人の対局は、NHK杯の決勝戦なので、実際には
持ち時間の少ないTV中継録画だから、映画の雰囲気とは
まるで違っているのだけれど、映画の中で使われている
棋譜や対局姿勢に誇張や嘘がまったくない、きわめて良心的な
作り方になっている。

僕が将棋にはまりだした頃にはすでに彼は亡くなった後なので
生きて闘っている彼を見たことはない。もっと早く知って
おきたかったと思う。

羽生世代の棋士達が未だに将棋界の中心になって闘っているのも、
村山聖に笑われない将棋を指さなければと言う思いがあるの
だろうか。
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