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映画「ハリーポッターと死の秘宝2」 [書評・映画評]

ハリポタ7.jpg
初日に行ったのは、単に行きつけの映画館が千円の日だっただけのこと。
とうとう終わっちゃいました。8作すべてに出演している役者の成長過程は
興味津々。グッズもそういう変化を楽しむ物が多くて悩んでしまう。

当然ながら映画は原作とは違う物。あの膨大な物語をたとえ2部作でも映画の
尺に収めるのは無理な話。だから原作のカットは仕方がないところ。
だから、映画だけで8作通して見て、それで矛盾を感じなければそれでいい。
映画でのファンは原作小説は読まない方が賢明かも。

今回も多くの場面がカットされたけれども、この第7巻で一番の泣かせどころである
「プリンスの物語」が、カットはあれども観客の涙を誘う場面だけはしっかり
残していてくれていることは評価したい。まあ不十分ではあるけれど。

もう一つ、映画ならではの利点は、原作がどの巻も第2章以降はハリーの視点に
よっていて、ハリーの知り得ないことは書かれなかったのだが、前作もそうだが、
今作でもハリーがいない場面での行動まで描いていたのはよかった。小説の読者は
登場人物の会話でその内容を想像するしかなかったのだが。

カット部分で一番気に入らないのは、いわゆる勧善懲悪に徹して過ぎていて、
正義側の人物のダーティー部分は無視したこと。今回の第7巻ではダンブルドア
校長の闇の部分と自責の念、後悔で埋め尽くされていた人生であったのに、
その部分はいっさい省略してしまった。また、ルーピンとハリーの諍いは
7作目での場面だがそこも省略。結果、ルーピンの息子の後見人にハリーが
なることも省略。この部分、けっこうシリーズの流れでは重要なんだが。

カットではないけれど、マルフォイ一家がヴォルデモートにつくづく愛想を
つかしてしまうという原作の重要なテーマも省略。原作ではすべてが終わった
後、喜びに沸くホグワーツの中で、マルフォイ一家が居場所がないまま3人
肩寄せ合っている場面が象徴的に描かれているのに、この映画では最終決戦の
前に一家が戦線離脱という、どう解釈していいのかわからない演出になっている。
まあ台詞の中でドラコがハリーをかばったことや、ドラコの母がハリーの
窮地を助けた場面こそあるのだが。

シリーズ初の3Dとかで、それを意識した映像が気になる。まあ通常版で見たのだが、
あの暗い映画(ほとんど夜の場面)を3Dメガネで見るのはつらいと思う。
原作ではハリーの長い話で心理的にヴォルデモートを追いつめた後、戦いは
一瞬で決するのだが、それでは映画にならないと思ったのだろう、長い戦いに
なっている。映画だから仕方がないのかもしれないが。

細々としたことでは、ウィーズリー家の異端児パーシーが戻ってきてジョークを
かわす場面とか欲しかったとは思うし、ハリーの元カノ・チョウ・チャンも出てきて
欲しかったとも思ったり。

ラストで原作ではハリーの折れた杖が最強の杖を使って復活する場面があって、
ハリーのこれからを見せる重要な場面なのに、そういうことなしにあっさり
最強の杖を棄ててしまうのはどうなのか。歴史事実として伝わるいわゆる
重要文化財への冒涜を感じたり。ここは原作通りにダンブルドアに返すという
流れにして欲しかった。

19年後、原作ではそれぞれの将来を見せて印象的な終わり方になっているのに、
映画はなんとなく付け足しのような印象しか残らない。原作通りの終わり方を
期待していたのに少々がっかりした。

まあ原作にとっぷりはまった者から見れば不満が多く残る映画ではあるけれど、
本を読んでいなければそれはそれは、とても面白い物語なんだろうなと思う。


最後に、映画でしかハリーポッターを知らない人は、彼らその他の人物の
将来とかが気になるところだが、作者のローリング女史はしっかりその後の
様子をインタビューで明らかにしている。英語が判らない人はYAHOO知恵袋で
たどれば日本語での解説をしているブログに到達できるので。
………… と言っても、たどり着くのはここなんだけど。
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