SSブログ

大河「江、第?回」評 [見たよ聞いたよ]

本能寺の後の話。この年、江は数え10歳。満で言えば9歳。今で言えば小学3年生。
一人で(お供はいるが)三重県から京都や堺まで行けないことはないが、初めての
おつかいなみ。

まあそれは良いとしても、家康が難儀をして三河に戻ったのは有名な話。
伊賀越えの危険な道で、この功績により服部半蔵が高く用いられた。
こんな旅に9歳の少女がついて行けるはずがない。
ドラマに創造はつきものだが、非常識。

明智光秀の心境は誰にもわからない。
自身で、なぜ謀反を起こしたのかわからない、と語らせたら、本人がわからないものを
後世の研究家がどれだけ考えてもわかるはずはない。

本能寺の変の後、堺から難所を越えて伊勢に帰り、そこで捕らえられて安土に送られたと
する。何日かかるのか。本能寺の変が6月2日、山崎の戦いが13日。この間に
明智光秀と対面したことになっているのだが。
ちなみに、ドラマでは尾張の清洲城に無事に帰ってから、山崎の戦いの結果を知ったことに
なっているから、さらに日数がかかっている。
どこでもドアを使ったのに違いない。間違いない。

この後、いろいろあって、賤ヶ岳の戦いがあるのが天正11年、江が数え11歳の年。
言ってみれば、江が生まれて小学生の間に、父が亡くなり、伯父が亡くなり、母が亡くなる。
人生を決定づける重要な事件が立て続けに起きたのだから、子役に任せるわけには
いかなかったのだろうが。

まあ舞台劇のエレファントマンで、観客にはイメージだけで行われた劇もあった
のだから、視聴者にもあくまで9歳の小娘で見てくれという、難しい要求なのだが、
3姉妹の過剰な芝居が際立つ。仕方がないのだろうが。
nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。