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映画「トロッコ」 [書評・映画評]

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芥川龍之介の「トロッコ」を読んだのは小学6年の時だった。内容はよく覚えてはいないが、暗い雰囲気で悲しい気分のただよう小説だったことは覚えている。
今は中学生の国語の教科書に全文載っていて、授業の入り込みの時に詳しく説明を聞いたのでようやく理解できた。昔にそういう説明を聞いていればよかったのに。

台湾にトロッコが残っているということからこの映画が考えつかれたが、結果的にそのことがこの物語をダメにしたような気がする。
台湾のトロッコが戦時中、木材運搬に使われていて、日本と意識としてはつながっていたという。なまじそんな背景があるだけに、そのことにこだわりすぎたような気がする。
脚本家は戦争体験を持つ台湾の祖父の話を中心に脚本を書いたようだが、監督は、台湾人を父に持つ少年と、夫を亡くした少年の母親との絆を取り戻す物語にしたかったようだ。そのため何度も脚本を書き直す作業におわれるうちに、少年達の学校が夏休み中に撮影をしないといけない限界が来てしまって、納得しきれないないまま見切り発車をしたようで、そのためどっちつかずの中途半端な内容になってしまったようだ。

祖父はいったい何歳なのだろうか。終戦後65年たつから、20歳で終戦になったとしても85歳。2年間兵役があったというから、90歳近いだろう。孫が8歳と6歳。うーーん、祖父の息子である少年達の父親は何歳の時の子供なんだろう。戦時中の話と現代の話を無理にくっつけた結果、どうにもつじつまが合わなくなってしまったような。
20代の青年が出てくる。災害で両親を失い、彼を育てた男がやはり戦争体験者。いったい何歳の時に拾われたのか。

少年が地元の子供達と親しくなっていくという。とてもそうには見えない。単に大人が水浴びをさせている場面が出てくるだけで、大人の前でいくら一緒にいたとしても、それで溶け込んだとは思えない。少年達が帰国する時に、見送りにさえ来ていないのだから。
戦時中の話は台湾語で話がされている。当然少年達には内容はわからない。彼らに伝えようという気もない。だったら何を言いたかったんだろうか。少年達にとって台湾はいったい何だったのか。おそらく二度と彼らは台湾に行かないだろうと思う。

トロッコの旅から少年達が必死の思いで家にたどり着いた時、母親のあの態度はいただけない。母親は長男の思いをまったく理解もしていない。いなくなった息子達が戻ってきたのだからどなりつけなくてもいいじゃないか。口では怒りながらも号泣してくれていればまだしも。
母親と長男の溝の深さは埋まらないままで終わったような。だから少しも感動できなかった。母親のうわべだけの言葉に、長男への同情が起きただけ。

余談を二つ。

大学時代に第二外国語で中国語を取っていたので、ところどころ聞き取れる単語があった。台湾は北京から移ってきた人も多いので、中国での標準語に近いらしい。

少年二人は、僕が通っている将棋道場に来る兄弟に風貌がよく似てる。彼らの実年齢とも近いこともあるが、顔つきが二人ともよく似ている。この兄弟、顔が似てないようでありながら、実際の兄弟でもそうだからそういう意味では合った兄弟役を選んだみたい。

素材的にはいい狙いはあったと思うのに、もっと時間を掛けて脚本を練って欲しかった。
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