SSブログ

映画「三国志英傑伝 関羽」 [書評・映画評]

関羽.jpg
三国志の中で一番人気があるのは、劉備でもなく曹操でもなく、「義の人」関羽である。
原題を「關雲長」という。当時の中国人には正式名と通称の2つ名前があって、親しい
人の間では通称名で呼ばれていた。有名な諸葛孔明も本名は諸葛亮であり、通称孔明と
言うのであって、諸葛亮孔明、とフルネームで呼んだり、諸葛亮とだけ言ったり、
諸葛孔明と言ったりもする。
関羽の場合も、フルネームは関羽雲長であり、親しみを込めて関雲長と呼ばれていた。
映画の中でも、字幕では「関羽!」と呼びかけられていることになっているが、
実際には「雲長!」と呼ばれていて、違いが分かる人には聞き分けられる。

三国志では一番人気のある場面は赤壁の戦いであるが、このエピソードの中に、
大敗して必死で逃げる曹操を待ち伏せして関羽が待ち構えるのだが、あえて曹操を
見逃してやる感動的場面がある。その伏線となるのがこの映画で語られる物語である。

三国志には2通りの本がある。
一つは正史としての「三国志」。中国では伝統的に、政権を握った国は、その前の
国の歴史を正確に記録するという風習があった。三国を統一したのが魏の国の軍師で
あった司馬懿の息子が起こした晋であり、魏が前王室の漢の正統的な後継者であり
その正当な後継という立場で書かれているので、魏、ひいてはその国を興した
曹操が正しい人という立場で書かれている。したがってそれに抵抗する蜀は辺境の
小国という扱いでしかない。

もう一つは、その小国を判官贔屓で主人公にして書かれたのが「三国志演義」。
劉備とその2人の義兄弟、そして軍師諸葛亮を主人公とした物語。
従って、関羽を英雄として描かれるのは当然であり、曹操は天下を横取りした
極悪人という立場になる。

しかしここに例外が生じる。
演義であるのに曹操を部下に慕われた人物として描いたり、正史なのに関羽を
ほめたりもする。その理由の一つがここに描かれた物語にあると言っても良い。

劉備が曹操に攻められ、散り散りバラバラになった時、逃げ遅れて捕虜となった
劉備の妻子を助け出すためにあえて捕虜となった関羽を、魏の将軍達は処刑する
ように求めたが、曹操だけは関羽の人柄に惚れ込んで、自分の家来になるように
せまる。しかし劉備にしか使えない関羽は首を縦にはふらない。そこで劉備が
死んでいれば家来にならないかという話から、もし劉備の生存が明らかになれば
そこに戻らせて欲しいという願いに、それまでは一時的に自分に仕えろ、
劉備が見つかれば返してやる、という口約束をする。

この約束が口約束だけに終わらなかったのが曹操の偉いところ。それを信じた
関羽も人を見る目がある。
はたして劉備の居所がwさかり、約束通り曹操は関羽を劉備の妻子とともに
帰らせることに。しかしそれに我慢ならないのが魏の将軍達。曹操の意向を
無視して関羽の逃亡を阻止することに。

関羽が劉備の妻に思いを寄せていたという話がある。だから必死で守ろうと
したという。ありえることでもあり、映画はまだその妻が正式には劉備とは
結婚していないという設定にしているが、あまりその設定には意味がないが、
必死で守ろうとする背景にしている。

ということで、この物語は男と男の友情、実ることのない想い、将軍達との
激しい争いを核として見応え十分な物語に仕上げている。
赤壁の戦いの顛末を知っている者にはこたえられないストーリーになっている。

映画では将軍達をそそのかしたのが実は皇帝だったということになり、後に
皇帝を滅ぼすことになる曹操が、関羽に対して、天下が平和になればこいつを
殺してやる、と皇帝を指さし、この先の展開を思わせる。

後に関羽は呉の軍師の策略にはまり囲まれて、そこで潔く討たれるのだが、
関羽の死を聞いた曹操は首を譲り渡すように呉にせまり、魏の国で盛大な
葬儀をあげる。映画の冒頭とラストでその場面が描かれるが、そこには
三国志の英雄を殺したのは呉であって、魏は彼の偉大さを認めて嘆いている
というポーズを見せるのだが、ポーズでありながらも、それを超えた曹操と
関羽の友情がよく表された場面であると思える。

敵同士でありながら男が男に惚れる、そんな偉大な関羽はいまだに英雄であり、
日本でも中華街で関羽を祀る社もあるくらい。
三国志ファンなら絶対に見ないといけない映画だと思える。
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。