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映画「ツナグ」 [書評・映画評]

ツナグ.jpg
生者は人生でただ1回だけ死者に会うことが出来る。それを仲介する者を
使者(ツナグ)と言う。

死者も生者に会えるのは一度きりだが、呼び出されない限り、自分から
会いたい人を選ぶことはできない。そのかわり、呼び出そうとする人に
会いたくなければ拒否が出来て、生者に会う権利は失われない。
しかし生者の場合、死者が会うことを拒否すれば他の死者に会うことも
できなくなる。人生でただ一度きりのチャンス。

祖母から「ツナグ」の使命を引き継ぐことになった高校生の孫が初めての
仕事に向かい合う。

原作では4人の依頼者が、それぞれが主人公として、それぞれの視点で
ツナグを通じて死者に出会う物語になっていて、最終章でツナグの高校生の
物語と共に、それまでの謎解きをかねて各章の物語を振り返りながら、
自分の両親の謎の死に迫る物語となっている。

映画では最初からツナグの高校生が主人公で、原作の第一章だけ省略して
時系列に並行に物語が進められていく。原作を削ったのは単に尺の問題
だけじゃなく、1章だけ浮いているからなのかもしれない。
脚本は原作を大事にしながら簡潔によくまとめられている。
ただし、例のごとく、原作は細かい点にもこだわってかかれているが、
変に原作を生かしながら簡潔にしたために、少し注釈が必要な場面も
出てきたりもする。たとえば中年男性が亡くなった母親に会おうとする
物語で、「長男」という言葉へのこだわりが、原作では細かく描かれて
いるが、映画ではその言葉だけ残したために少しわかりにくくなっている。

実はこの映画は2回見ることになってしまった。

最初に見に行ったとき、3分の2ほど進んだときに、映画館が入っている
建物で火災報知器が鳴ったために中断。誤作動とは判明したものの
復旧がなかなかできないために料金払い戻し、後日にもう一度見る
ことに。
そのおかげで、映画の中で、ある言葉の聞き違いのために大変な事態に
なる場面、注意深く聞くことができたが、あれは聞き違いではない
ことが判明した。2回も見るものではないね。

生者が死者に一度とは言え会えるという設定。面白いけれど現実には
無理もあるかも。たとえば、幼いときに親に死なれて、大きくなって
会ったとしたら、おそらく親は子どもに気がつかないだろうなとか。
どうしても会いたいという気持ちはあっても、たった一晩しか機会が
ないというのは、かえって中途半端だったりもして。

死んだ人間が何年もそのままでいるという現象も、実際には生者の
思念が現象として現れているだけかもしれなかったり。つまりは
生者の潜在意識が投影されるだけなのかもしれないとか。

まあそれをどう受け止めて超えていくのかは残された者の選択なのかも
しれないが。
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