SSブログ

映画「北のカナリアたち」 [書評・映画評]

カナリア.jpg
6人の児童しかいない北海道の島の分校に、新しく女性の教師、はる先生が大学教授をしている夫と一緒に赴任してきた。
彼女は児童達に詩の才能があることに気づき、ちょうど男女3人ずつだったこともあり、合唱をさせることに。彼らの歌声は天使の歌声として評判になり、道内の音楽会に出ることになっていたのだが事件が起きた。
夫の提案で開いたバーベキューの途中、はる先生が急に不在になったその時に、児童の一人が海にはまり、助けようとした夫は児童を助けたものの、自らは帰らぬ人に。
そして、その不在の時、はる先生は別の男性と逢い引きをしていたという。

島にいられなくなり、追い立てられるように島を出て20年が過ぎた。
別の職場で定年を迎えた先生の元に刑事がやってきて、20年前の教え子で最年少だった男が殺人容疑で逃げていると。
はる先生は20年ぶりに当時の教え子を訪ね歩く。そして20年前の事件の真相が明らかにされていく。

天使の歌声の子ども達はそのためだけのオーディションで選ばれ、見事な歌声を聞かせてくれる。演技はずぶの素人で演技指導が大変だったとか。
あぶない刑事の二人がはる先生にからむ重要な人物として登場。配役からして問題ある三角関係はできあがっていた。
はる先生の父親、水戸黄門さんはしゃべり方が黄門くさくてなんだかな。

「告白」で話題になった湊かなえの原作は、「往復書簡」という題名通り、手紙のやりとりだけで事件の核心に迫る物語だそうだ。それを読んだ吉永小百合が自ら、これを映画化できない物か持ち込んで映画化実現したとか。だから原作は「原案」となっていて、映画化のために手紙ではなく実際に歩き回って尋ね歩くように、かなり内容を変えたとか。



ここからはネタばれ。



結局、はる先生は、殺人を犯した青年が自殺するつもりであることに気づいて、そうさせないためには、分校の仲間の力を頼むこと以外には方法がないと思って、昔の教え子を捜し出す旅に出たのだろう。そのためには、自らの心にしまい込んだ物まではき出さないわけにはいかなかったし、それは同時に、心を傷つけたままにして置き去りにした児童達の心の傷にもえぐらないといけないことだったのかも。
20年間、傷つけたままにしたのは彼女の罪。一つの殺人事件によって、ようやくその傷を癒すことになったのは皮肉な物。

しかし、天使の歌声の少年少女のなれの果ては、元歌手が一人だけで、ちょっとつらいものがある。
歌を忘れたカナリアは藪に捨て去られるしかなかったのか。
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。