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映画「源氏物語 千年の謎」 [書評・映画評]

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紫式部の「源氏物語」がなぜ、どのように書かれたのか。ストーリーを
追いながら、作者紫式部と主人系統である藤原道長との関係を通して
見ていく物語。

最初に設定ありき。従って監督・脚本家の意向に合わせて歴史事実を
歪曲化するいつもの手法。

映画では「源氏物語」は藤原道長の命によって書き始められ、その後
娘彰子に天皇の子を授けるために、その裏工作として紫式部をそばに
置かせたという設定。

歴史事実としては源氏物語の作者だから彰子のそばに置いたのは事実だが、
紫式部が道長に出会う前にすでに源氏物語は書き始められていたわけで、
道長の命により書き始めたというのは大間違い。そこまでして「謎」を
解いた気になりたいのだろうか。

ラストは未完成のまま紫式部は宮中を去っていくが、これもまた嘘。
書き上げてなお数年は彰子のそばに使えていたのは間違いない。

陰陽師安倍晴明が登場するのはまだ構わないが、彼が物語の中にまで
入り込んで生き霊退散をやりだすのでは、通俗なファンタジー小説に
なったような気がする。監督は何をやりたかったのだろうか。
ラストで光源氏が作者に、私をどこまで追いつめるのかと問うのは
いいだろうが。

源氏物語は全巻54帖。すべてを映画に収めることは不可能だが、
どこまで描いてくれるのか心配だったが、最小の展開で終わってしまった。
生き霊の六條御息所がもう一人の主人公か、彼女と関わる部分だけに
徹したのはいいけれども、中心がぼやけたような。藤壷が出家する
場面で終わるのは尺の関係で仕方がないけれども、せめて幼い
紫の上と出会うところまでくらいはやってほしかった。そうでないと
救いのないままで終わる展開でしかない。

夕顔が出てきても、元を知らない観客にはどういうことなのか理解に
苦しむかもしれない。せめて雨夜の品定めの場面でも入れてくれれば
その後の展開を想像する楽しみも出るのに。

結局、監督は何を描きたかったのか。実質、映画での主人公は藤原道長に
なってしまったような気がする。それはそれでもかまわないのだが、
せっかくの生田斗真が東山紀之に潰されてしまったような。

けっこう不満が残る映画ではあった。
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