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書評「蜜蜂と遠雷」 [書評・映画評]


蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

  • 作者: 恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫


先日見た映画の原作。

映画を見て、本を読み始めた影響で、夢を見た。
どこかの小さなコンクールにたわむれでエントリーする夢。
書類が送られてきて、課題曲一覧が載せられていて、これは本気で毎日練習しないといけないとあせる。いやいやピアノは初級程度しか弾けないのでけれど。

映画はやはり原作のダイジェストだった。主要人物が一人消えている。というか、映画でのヒロイン、7年前にドタキャンしてピアノの世界から消えた人物が復帰する過程の説明が映画では全然無かったけれど、原作読んで納得。彼女を音楽大学に引き込んだ学長と、その娘で2年年上の女性が重要なキャラで、原作では最初から最後まで寄り添っているのに、映画では完全に消されていた。
映画では先に脱落する4人目の人物がけっこういろいろ関わっているけれど、原作ではほんの一瞬でしかヒロインと関わっていない。映画で不自然だと感じていた砂丘でのシーンにも、原作では彼は参加していなかったし。
審査委員長が別の人物だったことはまあ映画の都合上仕方が無いでしょうが。

逆に原作でよくない部分が映画でうまく処理されている部分もある。

原作は本物のコンクールを丁寧に追いかけるあまり、饒舌になってしまう。その結果、本戦に入るときに燃え尽き症候群になってしまったようで、全員入選が確定して、競争心理が抜け落ちてただ描くだけになってしまった。だから映画では本戦以降の部分がほとんどオリジナル脚本になっている。原作と同じなのは少年が楽団の配置を変えるところと最終結果だけとか。だから本戦に入ってからは退屈しかない。

映画ではその他に第3予選も省略した。これもその方がいい。飽きてくる。重要な人物が第3予選で落ちるというインパクトがない。まあ非常に不安材料は入ってはいるのだが、あまり効果的とは思えなかった。

「爆弾を仕掛けておいた」というメッセージ、同じセリフを別の作品で聞いたよなと思ったら、この作者の「夜のピクニック」だった。ついでに言えば、本戦でのヒロインの無駄なモノローグも「夜のピクニック」に似たようなつぶやきあったな。
さらについでに言えば、最年少の少年。これも「夜のピクニック」に登場する謎の少年とイメージがだぶった。
原作小説、もう少しスリムに出来そうなのにちょっと残念だった。

先に落ちた男性を追っかけ取材している女性の話、結局この男が落選した時点で存在感がなくなった。TVドキュメンタリー作成のための追っかけなのに、これも尻切れトンボ。作者が息切れしたとしか思えなかった。
まあ面白い題材だったのに。

蛇足
映画で冒頭に馬が出て来る。意味不明だったが、原作の冒頭に馬が出る理由があったけれど、これは監督の解釈間違いだろうなと。小説に出て来る馬はこれではないと思う。

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映画「蜜蜂と遠雷」 [書評・映画評]

蜜蜂と遠雷.jpg
約2時間の上映時間のほとんどがピアノ演奏という、とても贅沢な映画。コンサート会場にいるような雰囲気で、ソロのピアノ演奏、オーケストラとの協奏曲を何曲も聴ける。
国際コンクールなんだから、楽器も実際の演奏をしている人たちも本物の音楽を流してくれる。音楽好きには至福の時間だったと言える。

原作は未読。ピアノコンクールに出場する4人の若者の物語。第1次審査から始まって、最終審査の演奏まで。結果発表はエンディングの字幕のみ。
原作は4人のそれぞれの物語らしいが、映画ではその中の一人の女性を主人公にした物語に編集。原作でどうなっているのか知らないが、主人公が他の3人とも関わりを持つ形で4人の物語という形式は維持している。

主人公は松岡茉優演じる元天才少女。しかし母親の突然の死でピアノが弾けなくなり、無理に出場した演奏会でまったく弾けずに逃げ出して7年が経過。復活を果たす舞台には、かつて逃げ出したときにその場にいた人物達が同じ位置で迎えている。彼女もその時の衣裳とそっくりの衣裳を着てステージに立つ。復活と再出発の物語に映画は重点を置いている。

他の3人もそれぞれの立場でそこにいる。しかし原作を読んでいないと不十分。経過がわからない箇所がいくつもある。
コンクールの出場者の一人である松坂桃李と常に一緒にいるブルゾンちえみの立ち位置が不明。コンクール最中に音声調整室にいたり、出場者のインタビューをしたり。そういう公式の立場でありながら、なぜ出場者の一人と常に一緒にいるのか。
存在不明と言えば、クロークにいて最初から最後まで座ったままでイヤフォンで演奏を聴いている片桐はいりも意味不明。何か意味があるのだろうか。

審査委員長の元天才少女と呼ばれた斉藤由貴の存在は貫禄ある。不倫スキャンダルでCMなどのTV画面からは消えてしまったが、映画では重厚な役で使われ続けるのは、それはそれでいいんだけれど。

ネットでは松岡茉優を叩く記事を目にするけれど、彼女の演技は好きだ。インタビュー記事や対談番組での発言を聞くと、まったく違う世界に居る人だという印象しか受けないけれど、俳優なんて元々そんな物だったはず。現在は一般人と役者の距離が近くなりすぎただけの話。

やっぱり原作読んでみよう。
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